逮捕でピリオドを打つのか!
旭川政財界の廣野支配
「旭川の政治、経済はH(廣野)グループ抜きには動かない」と言われてきた。しかし頂点に立つドン(首領)廣野氏の逮捕、起訴で、その影響力が後退するのは必至。「土建業支配、廣野支配の終焉」との声さえある。
旭川政財界のドン(首領)広野忠雄氏が公職選挙法違反の容疑で逮捕という衝撃的なニュースが流れたのは七月十五日土曜日の夜。「近々、今津派から逮捕者が出そうだ」と伝わってはいたが、しかし、まさかいきなりトップの廣野氏が逮捕されるとは、誰も予想していなかった。「どこまで警察の追及の手は伸びるのか」といった憶測と混乱。同時に「政財界最大の実力者の逮捕で、旭川はこの先どうなるのか?」との不安が広がっている。
新谷氏継ぎ建設業界トップへ
創業者で実父の良作氏が急逝し、その後を継いで廣野氏が廣野組社長に就いたのは昭和三十一年。当時まだ三十一歳という若さだった。
「第7師団の建設工事中、現場に落ちている釘を拾って歩き、自分の仕事に使っていた」とのエピソードもある苦労人の良作氏は、大工からたたき上げ、会社を起こし、旭川でも有力な企業に育てあげ、昭和二十七年から二期四年間、旭川建設業協会会長も務めた。
良作氏の後、建設業協会会長ポストを継いだのが盛永要氏(盛永組社長)。その後が新谷市造氏(新谷建設社長)である。七代目の新谷氏は三十五年に就任し、十期二十年、旭川の建設業界のトップに君臨した。
長期政権を維持した新谷体制の下で広野氏は、三十代の若さで副会長に抜擢されている。
四十年代は、田中角栄首相の列島改造論(四十七年)に象徴されるように、高度経済成長で開発予算が年ごとに膨らんでいった時期。旭川の建設業者も受注額を伸ばし企業規模を拡大していき、酒造業や木材、卸小売業などの往時の隆盛が色あせていくのと対照的に、力をつけていった。
新谷建設しかり、新谷会長にかわいがられた廣野氏の会社もしかり。と同時に、有力建設業者の政財界での発言力も増していった。
新谷氏の勇退で、廣野氏が八代目会長に就任したのが五十五年。副会長時代に、旭川青年会議所理事長も経験し、業界以外での人脈も広げての建設業協会会長就任だった。
廣野氏が「旭川のドン」と呼ばれるようになる絶大な権力を振るうのはこれ以後のことである。
「俺が坂東を市長にした」と豪語
業界でトップまで上り詰めるには実力・才能がいるし、運も必要だ。建設業協会会長就任当時の廣野氏を、戦国時代の武将・織田信長にたとえた人がいる。
「豪快で何事もずばりものを言う。反響や周囲を気にして含みのある発言をするトップは多いが、廣野さんは違う。ケレン味なく裏表もない。自分に自信がある真の実力者だからだ。頭もいい。何事も、大局的な視野で判断、決断する」
運の良さは、長く業界のトップを務めた新谷市造氏にかわいがられ、引き立てられたこと。そして、会長に就任する二年前、五十三年十一月の市長選挙で、五十嵐広三氏―松本勇氏と長く続いた革新市政が崩壊し、保守の坂東徹市政が誕生していたこと。
坂東氏は廣野氏の遠戚にあたる。坂東市長誕生後、廣野氏はよく「坂東を市長にしてやったのは俺だ。俺が呼べば坂東は夜中でもやってくる」と語ることがあったようだが、これは正確ではない。
五十三年十一月の市長選は、だれもが「二期目の松本は強い。坂東はとても及ばない」と見ていた。従って“大局的視野”の廣野氏も、坂東支援にはあまり積極的ではなかった。厳しい戦いの中で坂東氏は、気の許せる人に「廣野さんが応援してくれない」とこぼしていたのである。
決して良い感情を持っていなかった廣野氏を、当選後に坂東市長が“厚遇”しなければならなかったのは、ほかのどの業界よりも大きな発言力を持つようになっていた建設業界のトップという理由からだった。
「男気ある親分肌、純粋な人…」
坂東市政は四期十六年。この間に廣野氏を頂点とする、いわゆるH(廣野)グループが形成された。
衆院選や道議選などにおける候補の選定、市のトップ人事、商工会議所の正副会頭人事。旭川市の政策にも大きな影響力を行使。何事も、Hグループの承認がなければ着手できない、進まない状態となった。
権力の二重構造。国会議員より、市長、商工会議所会頭よりも、廣野氏の“意思”は絶対のものとなった。一時、中央政治を意のままにした金丸信氏のように、自分は常に影の立役者、キングメーカーでいるというのが廣野氏の手法。黒幕としてすみずみまで睨みをきかせた。
廣野氏の評価はHグループに近いか、敵対する立場かで大きく違う。
「態度が大きく、とっつきずらい印象を持たれるのは、男気のある親分肌だからこそ。広野さんほど旭川のことを純粋に考えている人はいない。政策や人事に介入するのも街を良くしたいとの思いからだ」(Hグループに近い経済人)
「なついてくる者はよく面倒を見るが、気に食わないものは権力をカサに徹底的に排斥する。自分の利益のため、建設業界の利益のため、商工会議所会頭人事などにも介入し、自分の息のかかった者を据える。どれだけ街の正常な発展を阻んできたか知れない」(アンチ廣野の経済人)
長期勾留で影響力大きく後退?!
もちろん、建設業界内での権力も絶大。大規模公共工事は廣野氏が割り振っていたのが実情と言われる。廣野氏に敵対する業者、気に入られなかった業者の役所の仕事は激減。政治力もある本州大手のゼネコンさえ、旭川で仕事をするには廣野氏の“承認”を必要としたとされるほど。
特に国政・市長選挙での働きが、忠誠度の評価となった。資金集めが目的の政経パーティー券の押しつけ、政治家への寄付金、決起大会などへの動員。廣野氏から号令がかかれば、業者は従うしかなかった。
今回の衆院選でも「選挙資金が足りない」と、協会役員各社に負担金が割り振られたが、各社ともすんなりと応じた。違法なことをしているとはだれも考えていなかった。いつもの選挙のように、上(廣野氏)から指示があって、それに従ったまでのこと。
今回、廣野氏が逮捕されて業界内には混乱が広がっているが、ほとんどの業者は「寄付金を出した自分が悪いことをしたとは思っていないし、指示を出した廣野さんが罪を犯したとも思っていない」という。
廣野氏自身もまた、警察がここまで追及してくる大事になるとは考えていなかったようで、事情を聞きに廣野組を訪れた捜査員に「お前たち、逮捕できるものなら逮捕してみろ」と、いつもの強気の姿勢を変えなかったという。
しかし直後に逮捕され、勾留は八月五日までの長期にわたり、さらに起訴後の保釈もしばらくは認められず(証拠隠滅の恐れありと裁判所が判断したようだ)、八月十日にようやく保釈された。(保釈金は五千万円?)
親分肌、強持ての廣野氏も逮捕の一週間前に七十五歳を迎えたが、今後仮に気力を回復したとしても、元のように旭川政財界のボスの立場に復活するのは難しいのではないか。仮に復活したとしても、影響力が大きく後退するのは避けられない、というのが大方の見方だ。
依存体質から脱却した街づくり
廣野氏逮捕直後、書店の店頭に並ん週刊『日経ビジネス』(日本経済新聞社発行、七月二十四日号)が、経済人の間で話題になった。数ページにわたって掲載された北海道のリポートである。
「全国的な景気回復基調に相反し、にわかに失速懸念が強まってきた北海道の経済。“お上頼み”のぬるま湯体質が、民間主導の自律回復を阻害している」との前文で始まり、北海道企業の体質のもろさを指摘。典型的な公共事業依存型の街として旭川が取り上げられている。
その大要はこうだ。
「民間企業分野が弱い北海道は、公共事業への依存度が全国でも際立って高い分、景気対策の効果が真っ先に現れ、逆に財政難によって公共事業が減少すると、先行して景気が落ち込んでいく。単にインフラを用意するだけの政策から、旺盛な民間需要は生まれなかった。これが“土建国家”日本が、バブル崩壊後十年にわたって長期不況に苦しんだ理由。
公共事業依存症にかかった経済の行く末を、さらに明快に見せてくれるところが道内第二の都市・旭川。公共事業に関連した官公庁や建設業者の需要に支えられて繁栄してきた。
ところが、公共事業経済特有の官官接待が激減し、繁華街から公務員の足が一気に遠のいた。それに、道庁発注の農業土木工事を巡る談合事件の摘発がとどめを刺した。
こうした街の現状に冷静な見方を示す者もいる。ある地元有力企業の経営者は『むしろ今までの方が異常だった。土建業者ばかりが闊歩するあぶく銭経済は一度潰れないと再生なんてできない。誤った景気の舵取りは経済全体を疲弊させ、人々の活力さえ奪いかねない』と、語気を荒げる」
公共事業依存、土建業者が支配する旭川では、経済再生はない―という主旨のこのリポートを読んだ人の多くが、今回の廣野氏逮捕劇を、公共事業依存体質と土建業者支配の行き詰まりと捕らえたようだ。
旭川経済再生のためには新しいリーダーが必要だ。