政治生命もこれで終わりか!?
後ろ盾無くなり加速する“今津離れ”

 選挙で敗れ、しかも後見人の廣野忠雄氏や選対幹部が公職選挙法違反の疑いで相次ぎ逮捕、起訴されたのをはじめ、旭川市議十数人を現金買収工作の対象にしていた疑惑が浮上、さらに自らも旭川地検の事情聴取を受けたことにより「今津離れ」が加速している。

 

“再起絶望”の声が蔓延

 今津氏には固定した人気はあるが、逆に不人気の度合いも強く、先の選挙の総体的敗因は「不人気が人気を上回った結果」とも言われている。

 「商工会議所のトップを選対の最高責任者に据え、しかも建設業界あげての支援体制。さらに、公明党にも三顧の礼を尽くして協力体制を築いていながら、それでも当選できなかったのは、とりもなおさず今津氏本人の人気の無さにほかならない。

 この先、今津氏の身の振り方が注目されるところだが、次も今津を担ぐと言う声は、少なくとも私の回りからはまったく聞こえてこない」

 こう話すのは、先の選挙で今津氏支援に奔走した旭川市内の経済人。

 また、別の支援者は「あんなに一生懸命応援したのに選挙が終わってから挨拶の一つもない。挨拶回りのしにくい状況にあることは分かるが、事務所からも電話一本かかってこない」と事情を承知しながらも不満を訴える。

 「選挙後すぐ、廣野氏と今津氏が東京で挨拶回りをしたとき、自民党の野中広務幹事長から『選挙は近い、旭川に戻って頑張れ』と言われ、その気になっていた矢先に廣野氏が逮捕された。

 後ろ盾が無くなって、これで次の選挙に打って出ることはかなり難しくなったと思う。例えこんな事件がなかったとしても、すんなり次の立起が決まったかどうか怪しかったのに……」

 と、暗に政治家・今津氏の“再起絶望”をつぶやく二十五年来の今津支持者もいるが、こうした声が市内に蔓延してきていることも事実である。


不敗神話を誇っていたが…

 今津寛氏は一九四六年生まれ。旭川西高を卒業後、中央大学法学部に進学し、応援団で活躍。在学中に運輸大臣を務めた故松浦周太郎氏の門下に入った。

 その後、旭川市長選に立候補した森山元一氏の秘書を経て七五年に旭川市議会議員に最年少で初当選。市議を二期務め、八三年には道議会議員に当選。

 道議を二期務め九〇年二月、故川田正則氏の地盤を受け継ぎ衆議院議員に初当選。続く九三年七月の選挙では前回よりも四千五百票余りを上積みしてトップ当選を果たし、「今津強し」を印象づけた。

 自民党公認で連続二期当選を果たした今津だが九四年六月、自民党が社会党、新党さきがけとの連立与党樹立を提案。当時、社会党委員長だった村山富市氏を総理大臣に推すという突然の政変劇で「自社さ連立内閣は真義に背く」として親分の海部俊樹氏と行動を共にして、自民党を離党し新進党に参画。

 しかし九六年、初の小選挙区比例代表制による総選挙を一ヵ月後に控えた九月に突然、自民党に復党した。誰もがあっけにとられた復党劇で、敵も味方も大混乱。公明・創価学会票が足早に逃げていき「裏切り者」という批判が有権者の間に渦巻いた。

 そして、それまでは市議選、道議選、衆院選と不敗神話を誇っていた今津氏だったが、この時の選挙の結果は、かつて味わったことのない惨敗だった。今津氏本人は「旭川の保守一本化を図るため」という大義をうたっていたが、そのときの「今津アレルギー」が、今日まで尾を引いてきた。


「お詫びの一言がほしい」

 絶対に負けるわけにはいかない選挙に、今津氏はまた負けた。しかも強力な後ろ盾である建設業者や選対幹部が公職選挙法違反の容疑で相次いで逮捕、起訴されたのをはじめ、議員らにも現金買収工作をしていた疑いが浮上。

 しかしそれらの事態に適切な対応を取っていないことから“今津離れ”が加速している。

 廣野氏、山田氏、川田氏らが逮捕される直接の引き金となったのは、建設業者の寄付行為が公選法の「特定寄付の禁止」に触れたからだが、寄付を依頼したのが今津氏本人か選対の人間かはともかくとして、廣野氏ら建設業者が、今津氏を当選させたいがためにやったことに間違いはない。

 従って業者にしてみれば、気持ちの上では「恩をあだで返された」ようなものではないか。せめて形ばかりでも「迷惑をかけて申しわけない」という態度を示すことが大切と思うのだが、「電話一本ない」(書類送検された建設業者)状態だという。

 また、いらだちを覚えているのは業者ばかりでない。今津派と称される議員の一人も、

 「今回の買収工作疑惑では、市議は本当に迷惑を被っている。せめて事務所からでも、状況を聞いてくるとか、お詫びの一言があってもいいのではないか」と不満げに話す。

 さらに続けて、

 「来年の夏には衆参同時選挙があるという予測で、私自身は、選挙が終わった時点では、今津氏にはもう一度チャンスがあると思っていた。しかし、一連の事件に対する今津氏の対応を見ていると、それもどうかと思うようになってきた」と苦々しそう。


“ポスト今津”の話題も

 こうした状況の中で“ポスト今津”の話が、そこかしこでささやかれるようになってきた。

 衆院6区の自民党公認候補で交代があるとすれば、その最有力は上草義輝氏。淡い期待をかけていた参院選への立起も不可能な状況となり、完全に行き場を失いかけていたところでもあり、今津氏の不運を自分のチャンスにする絶好の機会。

 今津氏の動向とともに、上草氏の動きにも目を離せなくなってきた。

 もう一人、待望論のような形で浮上してきているのが、九六年の総選挙で北海道三区から出馬し、初当選を果たしたものの、今回の選挙で惜しくも敗れた元HBCキャスターの石崎岳氏(四四)だ。

 同氏は小学校を旭川で過ごしたことがあり、旭川への思い入れも強いと聞く。森和郷氏(旭川市医師会長)が会長となって同氏の後援会もできているほど。もちろん政治家としての将来も有望視されている。

 ただ石崎氏には、次の札幌市長選に出てはどうかという支持者の声があるほか、来年の衆参同日選挙を視野に入れ、あくまでも衆院議員への復帰を狙っているようで、今後この話しがどう展開していくのか予測は難しい。

 札幌にある同氏の後援会事務所でも「6区から出る可能性はまったくありません」と強く否定しているが、同氏と旭川市立大有小学校時代に机を並べた人の話では「彼は当時、おれは旭川の市長になるんだと言っていましたよ」とのことで、市長候補も含めて、今後しばしば話題にのぼっていきそうだ。

 いずれにしても、すでに“ポスト今津”の話が市内を駆け巡っていることは事実で、崖っぷちの今津氏にとっては安穏としていられる状況ではない。

 今津氏自身、先の選挙では「負けたら二度と皆様の前でタスキをかけてお願いすることはありません」と言い切ってきた。前号の本誌のインタビューでも「この言葉は重いものだと思っている」と話している。

 また、自民党第六選挙区支部長職の進退については、「事件の裁判がすべて終わった後に(辞職願いを提出するかどうかを)関係者と相談して決めたい」と話している。