遅きに失した後藤典亨教育長の辞任
中学校“事件”の対応に汚点を残す…

 四期十一年半にわたって旭川市教育長を務めていた後藤典亨(のりゆき)氏が、任期を一年余り残し、八月三十一日付けで退任した。エコ・スポーツパーク構想をめぐる一連の不祥事問題がまだ終結していない時点で責任者の突然の辞任。すわ、敵前逃亡かとの観測も流れたが、事後取材してみると役所内での後藤氏の評判はことのほか良く「筋の通 った辞任」との声が聞かれた。しかし一方では「これは突然の辞任でもなんでもない。遅きに失した辞任だ」といった強い憤りの声も聞かれた。

 

タイミングがまずい

 後藤教育長が、菅原市長と教育委員会に辞職願いを提出したのは八月中旬と見られる。「一身上の都合で辞職したい」。市長は慰留したようだが後藤氏の意志は固かった。

 教育長が辞表を提出した話は、教育委員会内部でも次長、部長くらいしか知らなかった。一般職員が耳にしたのはほんの数日前。それだけに外部からは“突然の辞職”という見方が集中した。

 タイミングとしては良くなかった。教育委員会が事業推進の中枢となっていたエコ・スポーツパークに関わる疑惑が、依然として解明されていない。

 しかも旭川市の歴史の中でも三本の指に入ると言われる不祥事でありながら、その責任の所在がいまだはっきりしていない。そんな状況での辞任はやはり不自然だ。

 この件について言えば、辞めるなら、疑惑が発覚した時点か、解明された時点かのいずれかが適当であったはず。事態が市議会の特別委員会にまで持ち込まれ、その委員会が参考人招致をめぐる段階で、長らく審議がストップされている状況であることはわかるが、ここでの辞任はやはりタイミングが悪い。

 八月三十一日に行われた退任式で後藤氏は「二一世紀の旭川市の教育は、新しい力のもとで取り組んでいただきたい」とあいさつし、地元紙の取材にも次のような内容で答えている。

 「これから決算議会が行われ、新年度の予算編成に入っていく。(十月で二人が入れ替わる)新体制の教育委員がさまざまな教育行政を考えるためには、新しい考え方の予算措置が必要になる。その意味でも自分が退任するのは(予算編成に入る前の)今しかないと思った」

 新しい酒は新しい皮袋に盛れ、という言葉もあり、二一世紀に向けた新しい教育の試みは、新しい布陣でやるべきというのが後藤氏の考え方のようだが、それならそれで、辞任を決意するにはもっと適切な時期があったはずだ。

 エコ・スポ疑惑が沸き起こってきた時期、市役所内部では「市長は、最後は後藤教育長一人に詰め腹を切らせて収めようという思惑がある」という見方が支配的だった。これを敏感に感じた教育長はその時期、辞任を申し出たが、慰留されたという経緯もあったようだ。

 しかし、辞めるタイミングとしては、まだこの時期のほうが良かった。

 

教育現場の対応に限界

 後藤氏が教育長を務めていた期間、旭川市内の中学校では「強制わいせつ事件」や「いじめ自殺事件」が起き、市民に大きな衝撃を与えた。もちろんマスコミが取り上げていない問題も計り知れない。

 これらの問題が起きた時後藤教育長の対応は、どこまでも学校側の弁護に走り、事件の被害者側が求めたことには、木で鼻をくくったような回答しか出さなかった。こうした責任逃れとも言える対応に「教育長は辞任せよ」の大合唱が、事件の関係者のみならず市民的声として沸き起こったものである。

 教師と父母との対立が根深い市立高校の問題でも、後藤教育長はなんら適切な指導ができなかった。教師を経験してから市役所入り、教育関係の人事を牛耳ると言われている六稜会(旭川学芸大学・現教育大学の卒業生組織)の後押しで教育長に就任した後藤氏にとって、教師との対応には自ずから限界があった。

 後藤氏は、教師を相手に指導力を発揮できない自分を知った時点で、教育長を辞任すべきであった。「遅きに失した辞任」というのは、こうした意味からである。しかし教育現場の経験者を教育長に据えようとする馴れ合い人事を続けていれば、後藤氏が抱えたような問題はいつになっても解決されない。

 新しい教育長は十月までに、手順はあるが実質的には市長が任命することになる。(現在は佐藤俊一教育次長が教育長代理)。誰がなっても教育行政は難しい時期にあるが、教育現場に手加減せず、新風を送り込める人材を期待したい。

 

職員からは厚い信頼

 どちらかと言うと市民からは批判の声が強かった後藤教育長だが、教育委員会内部では厚い信頼を集めていた。ある幹部の話―

 「後藤さんは外から見る印象とは全然違う立派な方です。清廉潔白、誰とでも公平に相対し、決して責任逃れをするような人ではありません。エコ・スポ問題で職員が三日間徹夜した時も、六十八歳のご高齢でありながら、責任感からかずっと付きっきりでした。

 三十一日の退任式でも、都合のつく職員は集まるようにと言っただけなのに、大きな部屋がいっぱいになりました。車に乗って庁舎(協栄生命ビル)を後にする時も全員、長い時間見送っていましたよ。

 とにかく後藤さんに反感を持つ職員など一人もいませんでした」

 この幹部の話を、十一年半にわたって教育行政の長を務めた後藤氏への慰労を込めて“はなむけの言葉”としておきたい。