菅原市長の後援会長に吉竹氏
3期目へ…体制づくり着々
「誰が受けるのか」注目されていた菅原功一旭川市長の後援会長に吉竹グループ代表の吉竹脩男氏(六三)が就任した。市長自身が三顧の礼で頼み込んだとされるだけあって、決まってみればまさにはまり役=B就任後の会見では「私は市長から給料をもらうわけではない。一市民として、市長に言うべきことは言う」と、お目付役の立場を強調した。新生・菅原後援会は二期目の折り返し点となる十一月中旬にスタートの予定。(前文7行)
賛同される市民組織を
昨年暮れから今年春にかけて、菅原後援会事務所の政治資金規正法違反問題が世間を騒がせ、さらに後援会長だった近藤司氏の会社(近藤木材グループ)が倒産、菅原後援会の建て直しが急務とされていた。
再建にあたっては、市長の二度の選挙で選対幹事長を務めた元市議会議長の関根正次氏が中心となって準備委員会を結成、新後援会の性格や方向性を次のようにまとめた。
ク市長が市議・道議当時から今日まで共に苦労してきた人たちの考え方や立場を十二分に尊重しながらも、旧後援会を発展的に解散する。
ケ旧後援会を核にしながらさらに広く人材を求め、大方の市民に賛同してもらえる市民組織をつくる。
コ新しい市民組織は、市長の政治的、社会的活動を支援することはもちろん、いま市民が何を求めているか、旭川の将来はどうあるべきか、またそれをどう実行していくかなど、政策の調査、研究と立案を積極的に行う。
サ昨年来の種々の問題を反省し、資金管理団体は透明性の高い組織とする。
シ幅広い組織にするために、会運営は当面、集団指導体制としていく。
準備委員会ではこうした方向性を確認し合い、市長の新たな後援会「菅原功一と旭川市民の会」を発足を目指すことにした。これが六月十日のことである。
この時点から最大の課題だったのが新しい後援会長の人選。なにしろ旭川の顔である市長の後援会長。大方の市民が本心から納得できる人物でなければならない。また、適当と思われる人はいても、多くの課題を抱えた後援会だけに責任は重く、本人が受けてくれるかどうか分からない。
三顧の礼で会長就任を要請
衆院選挙終了後の七月に入ってから、準備委委員会のメンバーを中心に、集団指導体制の基幹となる会長団(十人)を結成、本格的な会長選びが進められることになった。
「会長団」を名乗るからには、このメンバーの中から会長団代表(会長)が選ばれるものと見られていたが、最有力候補と目されていた中島芳雄氏(中島病院理事長)を本人の体調の面から断念してからは、さらに広く外に人材を求めることにした。
会長選びの経過の中で、市長自身はもとより全員で確認し合っていたのは「建設関係者でなく、政治色の付いていない人」ということであった。そんな制限もあって、特定の名前こそ出なかったものの、大学教授ではどうかという話も出てきていた。
具体的名前が挙がって検討されたのが旭川商工会議所副会頭のa丸修氏(旭川トヨタ会長)だった。二年前の市長選では菅原選対の本部長を務めた経験もあり、また次期会頭の最右翼でもある人材。人物的にも申し分なく、決まれば誰もが納得できる人選だったが、本人が固辞したようで実現はしなかった。
菅原市長本人の強い意志もあって吉竹脩男氏(吉竹グループ代表)の名前が挙がってきたのは七月下旬のこと。市長と吉竹氏は、市長がまだ市議だった時代から「陰に陽に支えてくれた人」(市長)という関係で、市長にしてみればずっと以前から、自分の後援会の中枢に入ってほしいと願っていた人物。
吉竹氏は、あえて色をつけるとすれば“旧上草派”ということになり、現に今も上草義輝連合後援会(松山正雄会長)の会長代行の役職にある。また、十年前の市長選で旋風を巻き起こした旭川経済人会議の主要メンバーでもあった。
しかし、その後の活動でも分かるように、基本的にはリベラル。業務用酒販売はじめ、飲食店ビル、ビジネス・リゾートホテルなどを経営する吉竹グループ総帥であり、経済人としての道を突き進んでいる人。
五年前には北海道小売酒販売連合会会長に就任、さらに現在は全国小売酒販売連合会の専務理事として、全国十四万軒の酒屋を代表する仕事に打ち込んでいる。大半が東京での活動で、旭川にいるのは月のうち十日あるかないかという超多忙な毎日。
そんな人物への後援会長就任要請は多難を極めた。吉竹氏は、市長の思いには理解を示しながらも、いくつもの要職を持ち、大事な時期にある後援会活動に専念できないことを理由に断り続けた。
市長や関根氏が吉竹氏のもとに何度も通い、さらに吉竹氏に近い有力者の協力も得て、やっと了解を得ることができたのは九月下旬のこと。「三顧の礼でお願いしました」(関根氏)という熱意が、超多忙の人物にさらに重責を負ってもらうことを承諾させたわけである。
名誉会長、ではない(吉竹氏)
吉竹氏の了解を取りつけた会長団は十月三日夜、市内のトーヨーホテルで会議を開き、吉竹氏の会長就任を確認し合うとともに、十五人の会長団の中から代表に吉竹氏、他の十四人を常任副会長、関根氏を幹事長にすることを決め、さらに十一月下旬までには新しい後援会「菅原功一と旭川市民の会」の設立総会を開くことを決めた。
この時点での吉竹氏以外の会長団は次の通り。
石丸修(商工業代表・東鷹栖商工会長)、岩崎正則(市議会民主クラブ代表)、鎌田勲(同市民自由クラブ代表)、神村武(農業団体代表・旭川地区農協組合長会会長)、多田政明(福祉団体代表・愛善園園長)、津田勝美(企業代表・北海道地図会長)、中島芳雄(寿会代表・中島病院院長)、橋本幸一(環境衛生代表・道理容環衛同理事長)、林徹男(市OB代表・旭川保健医療情報センター社長)、久居智子(後援会婦人部代表・久居建設社長夫人)、三浦勲(税理士政治連盟代表)、山下初子(女性代表・元上川管内消費者協会事務局長)、横田隆治(後援会代表・横田鉄筋社長)=敬称略=。
市議会与党ではもう一会派、公正クラブがあり、同クラブの藤田良一代表にも会長団入りを要請したが、一連の市長問題の追及で急先鋒に立ったいきさつもあるだけに、クラブとしては現在のところ市長後援会とは距離をおいている。
さて、会長団会議を終えて会見に応じた吉竹会長は次のように力説した。
「私はほとんど東京に行っていたので詳しくは分からないが、市長問題がいろいろ取りざたされていたのは知っている。しかし過去のことを言うつもりはない。新しくできる後援会は透明度を高くし、市長が安心して一二〇%の努力ができる体制を作っていきたい。
後援会長を受けたからには、やるべきことはやる。決して名誉会長ではない。市長から給料をもらうわけではないので、一市民として言うべきことは言う。二期目の折り返し点でもあり、市長にはもっと街づくりのハードルを高くして、高い志を持ってやっていただきたい」
端的に飾らぬ言葉でものを言う吉竹氏らしい所信表明だったが、同席した菅原市長には、後援会長がやっと決まった安堵の表情が見えていた。
全市民的規模の後援会を目指したいという菅原市長の希望もあり、極力旧後援会の色を出さないように気を遣いながら設立準備を進めてきたが、六年前に菅原市長を誕生させたメンバーと二年前のメンバーの間で、一時的にぎくしゃくした関係があったことも確か。
しかしいま、吉竹氏という市民の心を持った会長を選んだことにより、一気に新しい後援会づくりに拍車がかかり、菅原市長の三期目へ向けて盤石の体制が構築されていきそうだ。
かえすがえす、運の強い市長である。