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国会議員の不祥事が続いている。秘書給与流用事件で辻元清美氏が議員辞職し、その後元秘書の多額脱税事件で加藤紘一氏、そして元政策秘書の公共工事受注に絡む裏金受領疑惑で井上裕前参院議長と、立て続けに3人の代議士が辞職を余儀なくされた。
自民党を離党した鈴木宗男氏も絶体絶命である。国後島の宿泊施設建設工事をめぐる疑惑で秘書らが逮捕されたが、これだけでは終わらず贈収賄事件に発展しそうで与党内からも鈴木氏の責任を追及する声が高まっており、議員辞職は避けられない情勢のようだ。あるいは本誌6月号が店頭に並ぶころには、鈴木氏は議員辞職しているかもしれない。また、田中真紀子前外相も秘書給与流用疑惑で立ち往生している。
こうも次から次へと疑惑や不祥事が飛び出すと、「国会議員はみんな疑惑だらけ。これでは議員はだれもいなくなってしまうのではないか」とさえ思えてしまう。
なぜこのように国会議員の不祥事が相次いで暴(あば)かれるのだろうか。一連の疑惑報道で売れに売れた週刊新潮の取材能力もすごいものであるが、やはり、内部告発が多いということだろう。具体的な資料がなければ取材も始まらないのである。国会の参考人招致、証人喚問での野党議員の追及も、内部告発、極秘資料入手の有無で鋭さが決まる。
ところで今、国会で『人権擁護法案』や『個人情報保護法案』などが審議されている。いわゆるメディア規制法案である。
背景には、行き過ぎたマスコミ取材を抑制しようとの考えがある。確かに、テレビのワイドショーや新聞、週刊誌などで信ぴょう性の薄い情報をひたすらにセンセーションに報じる場面も多い。特定の人間を追いかけこれでもかと際限なく私生活を暴き、また身内の死に泣き崩れる人に無神経にマイクをつきつける光景は、だれが見てもやり過ぎである。
しかし、今審議されている法案は、市民の知る権利を阻害しかねない危険性も持っている。
例えば、情報の入手方法は「適正な方法でなければならない」としている。言い回しは微妙だが、これでは不正に対する内部告発を元にした取材は「情報の入手方法が適正でない」と言われかねない。しかも、適正かどうかの判断は所管する省庁の大臣が行うのである。つまり、官が法でメディアを規制する可能性が著しく高いのである。
言うまでもなく言論の自由こそ民主主義の根源である。アメリカやヨーロッパには表現の自由や国民の知る権利をそこなうような法律はない。
前述したように、今騒がれている一連の国会議員の不祥事は内部告発が発端となりメディアが追及し明らかしてきたものである。
残念ながら今の日本には、政治家も官僚も企業も、内部浄化の力はない。法の番人である警察や検察の不祥事、外務省の裏金問題、雪印の輸入牛肉偽装事件、政治家と秘書の不正など、いずれも内部告発とメディアの追及がなければ明るみにならず、闇から闇に処理されていたのである。
内部告発は一種の情報開示である、と私は思うがどうだろうか。
先日、ジャーナリストの田原総一郎氏と話をする機会があったが、田原氏は「メディア側にも取材姿勢を正す必要があるが、それは官がするものではなく、メディア業界が映倫のようなチェック機関をつくり自浄努力するべきである」との考えを述べていた。私も同感である。
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