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アッという間に1年が過ぎ去ろうとしている。この1年の旭川の出来事を思い起こしてみると、明るい話題として挙げられるのは施設整備で魅力がアップし入場者が60万人を超えた旭山動物園ぐらいである。他は閉塞感におおわれた重苦しい話題が多かった。
不況はますます深刻化し、旭川を代表する製造業の一つであった旭油脂が解散、ホクト電子は大幅なリストラを断行中だ。公共事業の削減で建設会社の経営環境は一段と悪化し倒産、廃業が続いている。かつては「西の吉本、東の本間」と言われ日本の興行界にその名を轟かせた本間興業も自己破産に追い込まれた。繊維の街の象徴的存在であった東栄は中枢の繊維卸を不採算部門として廃止を決めた。一つ一つ取り上げたらきりがないほどだが、とりわけ暗いニュースとして市民にショックを与えたのが廣野組会長・廣野忠雄氏惨殺事件であった。
旭川の事件史の中でもこれほど衝撃的な事件は例がないのではないだろうか。事件後しばらくの間は街中がこの話で持ちきりとなり、仕事が手につかない市民も多かったほどである。幸い、捜査当局の努力で容疑者として会社役員の半澤馨、昇兄弟が逮捕され、事件は解決に向けて大きく前進し市民も落ち着きを取り戻している。
改めて説明する必要もないだろうが、非業の死を遂げた廣野氏は自他共に認める旭川のドンであった。
旭川建設業協会の会長として業界をまとめ上げ、豊富な資金と集票力で各級選挙で影響力を行使してきた。とくに親戚にあたる坂東徹氏が旭川市長となってからは市政の黒幕として君臨し、発注工事の受注調整を一手に行い、市幹部の人事にも関与し、そうした絶大な発言力が新たなパワーを生むという構図がつくられていった。
親分肌で、自分を慕ってくる者、頼ってくる者の面倒はよく見た一方で、刃向かう者は徹底的に干し上げた。建設業界だけでなく、市役所も商工会議所も「重要な案件は廣野氏が首をタテにふらなければ決められない」という状態で、市長や会頭を上回る力を誇示していた。
政財界を牛耳った廣野氏を高く評価する人は少なくない。廣野氏に近かったある経済人は「廣野氏に私利私欲はなく、常に旭川のことを考えていた。絶対的なリーダーとして君臨したからこそ旭川の発展があったのであり、中央との太いパイプを持つ実力派のリーダーをなくしたこれからが心配だ」と話す。
しかし、市長や会頭を凌ぐ発言力を持つドンの存在、いわば権力の二重構造が旭川の街づくりにどのような影響を及ぼしてきたのかを冷静に分析することも必要ではないだろうか。確かに道路や公共施設などのインフラ整備は見違えるほどよくなったと言える。しかし一方で、反対意見に耳を傾けることなくすぐに敵だ見方だと色分けする意識が、旭川のもともとの風土でもあるかのように根付いてしまったのではないだろうか。すべてとは言わないが、「なびいてくる者はかわいがり、反対する者にはようしゃなく攻撃する」との廣野氏の考えが影響したことは否めない。
廣野氏亡き後、だれが旭川を牛耳るのかといった話を耳にするが、そんな考えは前近代的である。本来、街のリーダーは市長であり、商工会議所会頭である。私利私欲に走らず市民に対して公正と正義を貫けば自ずとボスとしての風格がそなわっていくのではなかろうか。
廣野氏が健在であれば今回の市長選は有力な対立候補が出ず無風選挙となっていたと思われる。盛り上がりは今ひとつであったが、それでも幸いに“選挙”が行われた。菅原市長にはリーダーシップを発揮して公明正大に旭川をひっぱっていってもらいたいと期待する。
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