2002年 12月号 No.408


「東栄」RCC主導で再建計画
 
 かつて旭川は「繊維の街」と呼ばれた。リードしてきたのは東栄(旭川市2条9丁目、松山宏社長)だが、その東栄は整理回収機構(RCC)主導の再生計画の中で「旭川の繊維卸部門廃止」を打ち出さなければならなかった。今後、旭川パレスホテル、マルカツで再起を目指すが……

旭川市長選/菅原氏、首の皮1枚で3選
 
 「薄氷を踏む勝利」というより「首の皮一枚でつながった」と言ったほうが実感が伴う。3期目を目指した現職・菅原功一氏(58)の勝利は、決して無条件で喜べるものではない。菅原氏が獲得した得票(信任票)とほぼ同数の批判票の存在も明らかになり、「事実上の不信任」との声も聞かれる。道議のイスを投げ打った東国幹氏(34)の出馬の意味は大きかった。大接戦となった旭川市長選を本誌記者による緊急座談会で振り返ってみる。

廣野氏惨殺事件 半澤兄弟の初公判で分かったこと
 
 廣野忠雄氏惨殺事件など6件の刑事事件で逮捕、起訴されている半澤馨(66)、半澤昇(63)両被告が10月28日午前、旭川地裁の1号法廷に姿を見せた。市民(傍聴人)の前に姿を現したのは8月10日の別件逮捕以来2ヵ月半ぶり。連日の取り調べの後だけに、二人のやつれきった姿を想像した市民も少なくなかったが、顔色も悪く終始うなだれがちの昇被告に比べ、兄の馨被告は、時折傍聴席の方に目をやるなど、経済界で活動していた時と同様の、自信家らしい落ち着いた印象が目立った。

老人専用マンション管理会社が不適切処理
 
 「マンション管理委託費に問題がある」として、マンション住民らでつくる管理組合が、管理会社から委託費の一部を返還させる例が増えているが、旭川市内の老人専用マンションでは、長年にわたり管理組合が組織されていないため、管理会社とのトラブルが発生している。

西神楽農協代表監事がヤミ水田
 
 相変わらず米の生産調整が続き、せっかく実った稲を青刈りしなければならない農家の姿が、今年も道内の各地で見られた。そんな時代に、農協の責任ある立場の人が密かに水田を増やして米を作っていたとなれば、善良な一般農家が黙ってはいない。しかしなぜか農地の番人であるはずの農業委員会は、見て見ぬふりを決め込んでいる。旭川市内の農地は無法地帯となってしまったのか?

本間興業と関連6社に裁判所が破産宣告
 
 どちらも旭川を代表する企業でRCC(整理回収機構)の出方に関心が集まっていた東栄と本間興業。再生計画が打ち出された東栄と対照的に、抵抗むなしく本間興業には破産が宣告された。

真宗大谷派 市長選の公開質問状の問題点
 
 景気の低迷も影響したのか、市民意識の盛り上がりに欠けた旭川市長選だったが、そのなかで真宗大谷派北海道教区第16組(五十嵐信章組長)が4候補に出した「根拠のない迷信を市民に押しつけている形の旭川聖苑の友引の休日は改めてほしい」という公開質問状は、宗教的見地から問題提起を行った異色のものだった。本誌はその質問状と回答書を入手したので、これを公開し、市民の意識づくりの参考にしてもらうことにした。
 また、この質問状とそれに添付されていた佐賀県教育庁学校教育課同和教育室発行のパンフレットや加東郡同和教育研究協議会の資料の内容について、本誌巻末『名言・名句散策』執筆者の的場光昭氏から寄稿があったので、その全文も掲載することにした。なおこの寄稿掲載により、今号の『名言・名句散策』は休載といたします。

今月の視点
廣野氏惨殺事件で明け暮れた1年......西田 勲
 

 アッという間に1年が過ぎ去ろうとしている。この1年の旭川の出来事を思い起こしてみると、明るい話題として挙げられるのは施設整備で魅力がアップし入場者が60万人を超えた旭山動物園ぐらいである。他は閉塞感におおわれた重苦しい話題が多かった。

 不況はますます深刻化し、旭川を代表する製造業の一つであった旭油脂が解散、ホクト電子は大幅なリストラを断行中だ。公共事業の削減で建設会社の経営環境は一段と悪化し倒産、廃業が続いている。かつては「西の吉本、東の本間」と言われ日本の興行界にその名を轟かせた本間興業も自己破産に追い込まれた。繊維の街の象徴的存在であった東栄は中枢の繊維卸を不採算部門として廃止を決めた。一つ一つ取り上げたらきりがないほどだが、とりわけ暗いニュースとして市民にショックを与えたのが廣野組会長・廣野忠雄氏惨殺事件であった。

 旭川の事件史の中でもこれほど衝撃的な事件は例がないのではないだろうか。事件後しばらくの間は街中がこの話で持ちきりとなり、仕事が手につかない市民も多かったほどである。幸い、捜査当局の努力で容疑者として会社役員の半澤馨、昇兄弟が逮捕され、事件は解決に向けて大きく前進し市民も落ち着きを取り戻している。

 改めて説明する必要もないだろうが、非業の死を遂げた廣野氏は自他共に認める旭川のドンであった。

 旭川建設業協会の会長として業界をまとめ上げ、豊富な資金と集票力で各級選挙で影響力を行使してきた。とくに親戚にあたる坂東徹氏が旭川市長となってからは市政の黒幕として君臨し、発注工事の受注調整を一手に行い、市幹部の人事にも関与し、そうした絶大な発言力が新たなパワーを生むという構図がつくられていった。

 親分肌で、自分を慕ってくる者、頼ってくる者の面倒はよく見た一方で、刃向かう者は徹底的に干し上げた。建設業界だけでなく、市役所も商工会議所も「重要な案件は廣野氏が首をタテにふらなければ決められない」という状態で、市長や会頭を上回る力を誇示していた。

 政財界を牛耳った廣野氏を高く評価する人は少なくない。廣野氏に近かったある経済人は「廣野氏に私利私欲はなく、常に旭川のことを考えていた。絶対的なリーダーとして君臨したからこそ旭川の発展があったのであり、中央との太いパイプを持つ実力派のリーダーをなくしたこれからが心配だ」と話す。

 しかし、市長や会頭を凌ぐ発言力を持つドンの存在、いわば権力の二重構造が旭川の街づくりにどのような影響を及ぼしてきたのかを冷静に分析することも必要ではないだろうか。確かに道路や公共施設などのインフラ整備は見違えるほどよくなったと言える。しかし一方で、反対意見に耳を傾けることなくすぐに敵だ見方だと色分けする意識が、旭川のもともとの風土でもあるかのように根付いてしまったのではないだろうか。すべてとは言わないが、「なびいてくる者はかわいがり、反対する者にはようしゃなく攻撃する」との廣野氏の考えが影響したことは否めない。

 廣野氏亡き後、だれが旭川を牛耳るのかといった話を耳にするが、そんな考えは前近代的である。本来、街のリーダーは市長であり、商工会議所会頭である。私利私欲に走らず市民に対して公正と正義を貫けば自ずとボスとしての風格がそなわっていくのではなかろうか。

 廣野氏が健在であれば今回の市長選は有力な対立候補が出ず無風選挙となっていたと思われる。盛り上がりは今ひとつであったが、それでも幸いに“選挙”が行われた。菅原市長にはリーダーシップを発揮して公明正大に旭川をひっぱっていってもらいたいと期待する。