旭川から発信する情報コンテナ月刊北海道経済
月刊北海道経済は創刊以来40年。旭川市を中心とする道北地域の政治・経済・文化の話題を発信している雑誌です。
「歴史は繰り返される」と言うが、今回の市長選でその思いを強くした。戦いの構図、選挙の結果が43年前の市長選と余りにも似ているのである。
保守王国と言われた43年前、自民党は候補を1人絞るため連日連夜調整を続けたが、告示直前になっても話がまとまらず、結局、自民党支部長の経験を持つ前田善治氏を擁立した。これに対し、当時専門店会の理事長だった経済界の重鎮・斎藤二郎氏も無所属で立起し、事実上の保守分裂となり、その間隙をついて社会党の新人・五十嵐広三氏が日本一若い市長として誕生した。今回の市長選でも自民党候補の一本化は難航し、支部長だった加藤礼一氏が立起し、自民党に離党届を出した安住太伸氏が無所属から出た。そして保守分裂に助けられて奇しくも五十嵐氏の時と同じ37歳の若い西川将人市長が誕生した。
ご存知のように、日本航空のパイロットだった西川氏は尊敬する小沢一郎氏の人間性にほれ込み、当時の自由党に入党。故郷の旭川に戻って00年の衆院選6区を皮切りに昨年までに5度国政選挙に挑戦した。着実に支持票を伸ばしていったが、いずれも当選ラインには届かず落選し、苦しい7年間を過ごした。
その西川氏に当選から数日後にお会いし新市長としての抱負などをお聞きした。
今回の市長選で、各候補が共通して訴えたのは市政改革であった。他候補が、具体的に市職員の削減数などを示したのに対し、西川氏は「職員の方々と良く話し合いながら進めていきたい」との表現にとどめていた。対立候補の加藤礼一氏は「市職労に推された候補に市政改革はできない」とアピールしていたが、それは多くの市民が新市長に抱く不安でもある。そのへんについて西川氏はインタビューで「選挙中に具体的な数字を言わなかったのは、外から見ただけではわからないからであり、財政健全化を進めていけば必然的にかなりの職員数は削減していくことになります。市長の退職金も市民感情とかけ離れており数百万円単位まで削減したい。公用車も燃費の良い車に変更する考えです。とにかく市民の話をよく聞きたい。タウンミーティングなどを通じて、私からどんどん市民の中に入り込んでいきます」と答えている。
公約の中では「旭川空港の国際化、ハルビンとの定期航路開設」にとくに力を入れていくと話してくれた。民主党や労組の支援を受けた西川氏だが、本来、企業人的発想をする政治家である。実際、交友関係も、旭川の中小企業の経営者が多い。空港の国際化―ハルビン航路開設を第一にあげるのも、街の経済発展こそ大事だとの意思表示だろう。
今回の市長選では旭川商工会議所の丸修会頭が加藤選対の本部長を務め、経済界あげての応援態勢をとった。会頭自身は「選挙のシコリを残さず、ともに街づくりを進めよう」との考えだが、一部には民主党の新市長ということで反発もある。しかし、市政の舵取りを誤れば第二の夕張になり兼ねない財政状況と相変わらず厳しい経済環境を考えれば、保守系市長だ革新系市長だなどといっている場合ではない。高丸会頭が常日頃いうように、市と会議所が車の両輪とならなければ改革も前進もない。
ところで、西川夫婦は古いマンションに住んでおられる。「市長になったので一軒家に引っ越しですね」と尋ねると、「同じマンションに住む方皆さん今回の選挙で応援してくれました。“当選しても引っ越ししないでね”といわれていますし、私たち夫婦も引っ越しする気持ちはありません」との答え。マンションから通い、燃費の良い小型車を公用車とする庶民派市長に徹するようだ。43年前の青年市長は旭山動物園や買物公園、旭川医大などの財産をつくってくれた。平成の青年市長の街づくりに期待したい。