北海道経済 今月の視点【2007年09月号】キャンバスに描け、旭川の未来図

今月視点

【2007年09月号】 西田 勲

キャンバスに描け、旭川の未来図

早くも入院して3カ月が経つ。病室の大きな窓のそばに立つと、左には大雪山の雄大な山並み、右側には旭川医科大学の病院や研究施設が見える。

旭川医大を見ていると、懸命の誘致活動を思い出す。私個人も旭川青年会議所の一員として活動に関わっただけに、当時の熱気が忘れられない。1970(昭和45)年、医療不均衡解消のため国が道内での国立医科大学新設の意向を示すと、旭川、釧路、深川、帯広、函館が手を挙げた。旭川では官民が一体となっての運動が展開されたが、当時の五十嵐広三旭川市長は社会党員だったために、保革対立という時代の下では、北海道庁との連携がうまくいかず、誘致活動の効果にも限界があった。このため五十嵐さんは、誘致期成会の代表の座を旭川商工会議所会頭だった盛永要さんに譲った。いまから当時を振り返ってみても、五十嵐さんの決断は見事だったと思う。その結果、旭川は釧路を退けるかたちで国立医大の誘致に成功し、73年9月に開学を迎えた。

全国一の動物園となった旭山動物園も、五十嵐さんが市長として建設を主導したものだ。保革対立の構図のなかで予算審議は難航したものの、72年7月にオープン。苦しい時代もあったが、現在のブームは世界的にも知られるところだ。

企業の経営者と話をしていると、必ずといっていいほど「旭川の景気は悪い」という嘆きを聞かされる。たしかにそうなのだが、道内のほかの都市と比較すれば、旭川はまだいいほうである。もしも旭川医大と旭山動物園がなかったら、もっと不況は深刻なものになっていたはずだ。経済効果だけではなく、医大がなければ市内の医療サービスはいまほどには充実していなかっただろうし、動物園がなければ「旭川」という地名がテレビや本を通じてこれほど全国にとどろくこともなかったろう。

五十嵐市長の時代には、ほかにも平和通買物公園、流通団地、緑が丘ニュータウンなどが設置されている。このころ、旭川のグランドデザインがほぼ定まったといっても過言ではない。

五十嵐さんがこんなことを言っていたのを、いまもよく覚えている。

「街づくりは実に楽しい。キャンバスに絵を描くような仕事だ」

画家としても活動し、著名な個展にも出展していた五十嵐さんは、美術家としての発想も生かして市長の仕事にとりくんでいたのだと思う。

五十嵐さんが市長を務めた高度経済成長の時代と、多額の借金に苦しむ現在とでは状況がまったく違う。少子化と高齢化が進み、過去のような税収増が見込めないいま、多額の税金を投じて施設を建設することは難しくなっており、ハードウェアよりもソフトウェアに軸足を置いたまちづくりが求められている。しかし、どんな時代でも市長はまちのグランドデザインをしっかりと描くべきだと思う。旭川が将来もっと住みやすいまち、良いまちになるんだという希望がなければ、衰退していく一方だろう。旭山動物園はこの夏休みも入場者が増えているというが、どんなブームにも終わりは来る。将来を見据えて、いまから新しいグランドデザインを描いておくべきではないか。

7月24日、西川将人市長が昨年の選挙のなかで公約した市長の私的な諮問機関、都市戦略研究会が初めての会合を開いた。有識者の意見を広く聞いてまちづくりを計画的、戦略的に進めるのが狙いだという。現段階では、この研究会がどのような意見を出してくるのかはわからないが、市民が希望を持てるようなビジョンが示され、それが実際に西川市政に反映されることに期待したい。