北海道経済 今月の視点【2007年12月号】さようなら、稲村健蔵さん

今月視点

【2007年12月号】 西田 勲

さようなら、稲村健蔵さん

旭川観光協会会長の稲村健蔵さんが、とうとう逝ってしまった。寂しい限りだ。

今年1月、稲村さんが体調を崩したと聞き、旭川医大病院にお見舞いをさせていただいた。思ったよりもお元気で、ベットの上で旭川の未来について熱っぽく語っておられたのを思い出す。その後間もなくして私が病気で倒れてしまい、すぐ近くの病院に入院したのだが、再会することはできなかった。一時は回復しつつあると人づてに聞いていたので、残念でならない。

稲村さんは私より1歳年上だ。初対面は昭和40年代前半で、小檜山亨さんから「何かと頼れる将来の大物」と紹介された。そのときから稲村さんの話はバイタリティーにあふれていて、すぐに私たちが経営していた企業の役員に加わっていただいた。

西武百貨店が旭川に進出する時、地権者のまとめ役として名を上げた稲村さんは、その勢いに乗って旭川の有力者と次々と密接な人脈を築いた。旭川観光協会に入り、大西功さんにかわいがられ重用されて、一会員からたちまち役員、そして副会長となり、金森耕造さんの跡を継いで会長になった。若くして偉くなったことで悪い風評も立ったが、稲村さんの行動力はそんな雑音を黙らせるのに十分であった。

いま旭川は台湾、韓国などと国際チャーター便、国際定期便で結ばれ、外国人観光客でにぎわっているが、独自の人脈を作り、誘致に力を注いだ稲村さんの功績は、長く記憶されることだろう。

毎年12月、観光誘致活動・観光ボランティア活動の資金調達を目的に「市民歳末音楽の夕べ」が開催される。十数年前、資金不足に悩んでいた金森さん、稲村さんに、私から「市内名士を集めてカラオケ大会を開いてみては」と提案させていただいたことも、いまとなっては懐かしい思い出だ。私も何度か出演させていただいたが、この行事が旭川の年の瀬を飾る恒例行事となったのも、稲村氏の力があったからこそだろう。今年の「市民歳末の音楽の夕べ」は12月6日に開催される。稲村さんも天国から、きっと楽しんでくれるのではないだろうか。

稲村さん、さよならがちょっと早すぎたけれど、71年の生涯、ご苦労さまでした。あなたがこよなく愛した旭川のさらなる発展をどうかお見届けください。

内藤選手に教えられたこと

10月に開催されたボクシングのWBAフライ級世界タイトルマッチで、道内豊浦町出身のチャンピオン、内藤大助選手と、挑戦者の亀田大毅選手が対戦した。ご存知の通り、試合は判定でチャンピオンが勝利して初防衛を果たした。

私も試合の生中継をテレビで見たが、亀田選手の反則技はまるでプロレスのようだった。その結果、日本ボクシングコミッションは亀田大毅選手本人に「ボクシングを冒涜し、ファンの信頼を損ねた」として1年間の出場停止処分を下し、父親でトレーナーの史郎氏はボクシング界を追放された。ほとんどの国民は、処分は当然のことと受け止めたことだろう。

亀田親子はこれまでにも、対戦前に相手を侮辱し、挑発する原動を繰り返してきた。ボクシングの世界でまず相手を「口撃」するのは珍しいことではないが、亀田親子の言動は明らかに一線を越えていた。

亀田親子以上に反省すべきは、テレビ局のTBSを含む大手マスコミだろう。亀田親子の過激な行動を座視したばかりか、ときには油を注いだ。亀田兄弟のような若者の言動が、教育上好ましくないと思ったのは私だけだろうか。一般の若者が、亀田兄弟は格好いいと感じるのであれば、その悪影響は計り知れない。アニメやテレビゲームなど映像メディアの悪影響はよく指摘されるところだが、対戦相手をまったく尊重しなかった亀田親子をテレビで大々的に取り上げることに倫理的、教育的な問題はなかったのだろうか。

亀田親子以上に印象に残ったのは、王者・内藤選手のすがすがしさだ。マスコミの亀田バッシングとは早々と一線を画し、「終わったことだから」と亀田親子を気遣う姿勢さえ見せた心の寛さは、同じ道産子として誇りに思う。今回の試合でファイトマネーがようやく1000万円に増えたが、約半年前までは夫婦あわせて月収12万円だったという。内藤選手の勝利は、いろいろな意味で苦しさに耐えて努力することのすばらしさを教えてくれた。

内藤選手は33歳と、プロボクサーとして決して若いほうではないが、これからも王位防衛を続け、道民・国民に勇気を与えてくれると信じている。